Masuk「寝室どこ?」
「あ、一番奥に……」
寝室まで運んでもらっている間も思う、やっぱりこの感覚あの時に感じたものかもしれない、と。わたしをそっとベッドに下ろすと、優しく頬に触れてくる。
「あの……なかも、りさん……ゴホッ」「咳も出てきたな、あんまり無理して喋るな。どうした?」
「あの時、運んでくれたのは……仲森さん、なの……?」
「……そう、俺。たまたま倒れた時、傍にいたから」
「ありが、とう……ゴホッゴホッ、ございます」
すると、仲森さんは今度はわたしの頭を撫でながら、穏やかな声で言った。「冷えピタ張らないとな。喉乾かないか?水も持ってくるから」「あっ、いえ……仲森さん、あの……」
「ん?どうした?」
「わたしはもう大丈夫ですから……だから、あの……」
これ以上、ここにいてもらうことは出来ないから。でも仲森さんにじっと見つめられると、その後の言葉が出てこなくて。
「もう大丈夫だから、ここから出てけって?」「あ、えっと……別にそこまでは……」
「悪いけど、出てけって言われても出ていかないから。こんな状態の麻菜を一人にさせておくなんてこと、出来ない」
いつもの無表情のままこう言い残すと、仲森さんは寝室を出ていった。どうして……どうしてまた……わたしのことを“麻菜”って、どうしてそう呼ぶの…&
それから数日後に、STAR-MIXの洋服が届けられた。「麻菜ちゃんの担当はこれね」幸さんに言われ渡されたのは、シャツにフリルのスカートという組み合わせのもの。本日からわたしが出したもう一つの提案も実際に行われることになっていたのだ。わたしたち店員がお店の服を着て、接客を行うというスタイルを。それを手に取り、何とも言えない気持ちになる。「あの……幸さん。これ、わたしには似合わないと思うんですけど」普段スカートなんて履かないわたしには、着こなせないこと間違いなしだ。「そんなことないわよ。麻菜ちゃんにはこれが似合うと思って取っておいたの」にこにこと笑いながら言う幸さん。ちゃっかり自分は大人の女性が着こなすようなパンツを選んでいるくせに。確かに似合ってるから何一つ文句はないのだけれど。「それにこれ、若い子がターゲットじゃないですか。わたしには無理です」「何言ってるの!麻菜ちゃんだって十分若いじゃない」バシッと腕を叩かれ、スタッフルームに無理やり入れられる。「男性どもはもう着替えたから入ってくる心配はないと思うけど、一応鍵閉めといた方がいいわよ」外から幸さんの声が聞こえ、念のため鍵を閉めた。そして、もう一度渡された服を見る。「………」本当にわたしがこれを着るのか。あまり乗り気がしないまま、わたしは渋々その服に着替えた。「わーっ!秀平、今ダメだって!」幸さんの賑やかな声が聞こえたと思ったら、ガチャッとスタッフルームの扉が開いた。そして、入ってきた彼とばっちり目が合ってしまう。「……&
「STAR☆日本店」を潰されないために、従業員全員が一丸となって必死に働いていた。常にスタッフルームはピリピリとしている。今年中に何としてでも売り上げを伸ばさないと。あと8ヶ月もないから、もっと頑張らないと。そんな気迫が伝わってくる。そして、あたしがした“ある提案”は、ジョンによって順調に進められていた。その結果が入ってきたのは、つい今朝のこと。「麻菜!聞いて喜べ!」「どうしたの?ジョン」いつもテンションの高いジョンだけれど、今朝は一段と高い。ジョンは興奮のあまりか、わたしの腕をペシペシ叩いてくる。「ちょっと、ジョン。痛いんだけど、それ、やめてくれない?」「あははっ、ごめんごめん!それよりビッグニュースがあるんだ!」そして、あまりにも声を張り上げるものだから、周りの人が迷惑そうにこちらを見ていく。ここは、駅のホーム。本当、いろんな意味でのトラブルメーカーかもしれない。「ジョン、ここはホームよ。もう少し静かにしなさい」「これが静かにせずにはいられないんだって!」「だから、静かにしなさいって言ってるでしょ!」「Ouch!!」思い切りジョンの足を踏むと、顔をしかめながら叫んだ。普段、日本語でやり取りしてるから、久しぶりに聞いた。ジョンがとっさに発した英語。しかも久しぶりの英語が「Ouch」だなんて。「音量下げて喋るから、もう踏まないでよ」確かに静かにしなさいとは言ったけど……そこまで声のトーン下げられると、ほとんど聞こえない。よく耳を澄まさないと聞こえないくらいの音量で、ジョンは話を進めた。「だからね、ようやく許可が下
そして、次に幸さん。「まずウチの店はサービス精神に欠けてると思うんです」「サービス精神?」「はい。従業員のお客様に対する態度もそうですが、お直しのサービスが充実していないようにも思えます」幸さんが言ったのは、洋服のお直しのサービスのこと。サイズが合わなかった時に、洋服を直すサービスのことなんだけど。確かにこの店のお直しのサービスはなかなか利用されていないような気も……「私もそれは思っていたんだ」店長も幸さんに同意する。「これからはお直しのサービスも利用して頂けるように、配慮していこう」少しずつ店の問題点が見えてきた。社長からの忠告は、この店にやる気をもたらしてくれたのかもしれない。そう思った。そして、ジョンの番に。「そうですね……。アメリカ本社と比べてみて感じたのですが」ジョンは少し背筋を伸ばして、語りだした。アメリカ本店と日本店の違いを……「確かにこちらに置いてある商品ですが、どれもアメリカでは売れたものです」ここ、日本店ではアメリカで売れていた商品が、よく並べられていた。つまりアメリカ人好みのファッションだということ。「しかし、日本とアメリカでは違います。アメリカで売れたものが、必ずしも日本で売れるとは限らないと思うんです」ジョンの言うとおりだと思った。ここに来てから、それはわたしも感じていたこと。ここに置いてある商品は日本人の好みと合わない、ということだ。「もちろんこの店にあるものすべて取り換えろとは言いません」ジョンはちらっとわたしたちを見回した。
わたしとジョンがこの「STAR☆日本店」に助っ人としてやって来て、仕事にも慣れてきた頃だった。店内がざわついたのは。ある人物の登場によって、和んでいた空気が一気に凍りつく。「て、店長!てんちょーっ!!」バタバタと慌てた様子で、店長を呼びに来たのは幸さん。そんなに慌てて一体……「どうした?田端、そんなに慌てて」「店長!そんなに呑気にしてる場合じゃありませんって!」「は、はぁ?」「だから!社長が!社長が血相を変えて店の前に!!」「はぁ!?社長が!?」社長と言うワードに突然顔色を変えた店長は、急いで飛び出していった。向かう先は、社長がいる店の前に。でも、一体どうしたんだろう。社長がわざわざこんなところに?何かあったのかな……妙な胸騒ぎがしたのはわたしだけではなかったらしく、その場にいた全員がこっそりと店長の後をつけた。「社長!わざわざこんなところに……一体何が?」「いやー、突然悪かったね、川端くん」「あ、いえ……」社長の声は穏やかなのだけれど、表情が硬い。これから良くないことが待ち受けていそうだ。固唾を呑んで、社長の次の言葉を待った。「君に忠告しておこう」「はい?」「もし今年中に成果を上げられないようなら、この店は畳んでもらう」「えっ……」え?どういうこと……?今年中に成果を上げないと、この店は潰れる……?この店……STAR☆日本店が
「高校の時、わたしと仲森さん……付き合っていたでしょ?」「えぇ……麻菜、今は彼のこと仲森さんって呼んでるのね」「まあ……今は恋人じゃないし。上司と部下っていう関係だから」こうして線引きをしなければ……これ以上、わたしが彼の中に踏み込んではいけない。彼とわたしは上司と部下―――こう何度も言い聞かせてきた。「仲森さんが事故に遭ったことあったでしょ?その事故でわたしたちが気まずくなったことも」「あったわね……でも、あれは……」「その時、たまたま両親からアメリカに帰ろうと思うんだけどっていう話が来たから、わたしはその話に乗った」アメリカ人の父と日本人の母が出会ったのは、アメリカのニューヨークだった。二人は若い頃アメリカに住んでいて、思い出の一杯詰まったアメリカに帰りたくなったらしい。わたしはちょうどいい機会だと思って、一緒にアメリカに行くことにした。彼を忘れるために、彼との関係を断ち切るにはタイミングのいい話だったから。「彼にアメリカにいるって知られたくなかったから、誰にも言わずに日本を発ったの」「そうだったの……」「春菜、今まで黙っていて本当にごめんなさい」深く頭を下げて謝った。親友なのに、何の相談もしないで勝手にいなくなって……「もうやめてよ、麻菜。あの時は本当にどうしてって何度も思ったよ」「うん……」「でも、麻菜が姿を消した理由は分かってた。それに麻菜は頑固だから、一度決めたら自分の意志はつき通すしね」わたしの性格など十分理解していた春菜には、全てお見通しのようだ
「二人は付き合ってるわけじゃないんだよね?」「それは、あり得ない」「そっかぁ。でも、麻菜が僕のプロポーズを断り続けてるのって、少なくとも仲森さんが関わっている。違う?」いつもは軽いジョンだけれど、たまに真剣な顔して告白してくることがあった。わたしはどうしても誰とも付き合う気にはなれなくて、ずっと断っていたけれど。それに仲森さんが関わっているかというと……「それは、違う」わたしは嘘を吐く。封印したあの思いを再び思い出すことがないように……「麻菜って本当に嘘吐きだね。でも、僕は諦めないから」「え……諦めないって……」「仲森さんと何かあったとしても、必ず麻菜を僕のものにしてみせるってこと」「そう……。まあ、頑張って」ここまで真剣な顔して言われちゃうと、どう反応したらいいのか分からなくなる。いつもみたいに軽く言われるほうがいいんだけど。それから何故か気まずくなって、会社まで無言になってしまった。「あのさ、麻菜……」会社に着いた時、ジョンが突然立ち止まる。ちょうどジョンが声をかけたのと同じタイミングで、どこかで聞いたような声が聞こえてきた。「麻菜?」「え……?」声をかけてきたのは、スラッと背の高い美人の女性が立っていた。あれ……この人どこかで……「もしかして春菜?春菜……だよね?」「やっぱり麻菜だったんだ!久しぶりじゃない!」「うん。久しぶりだね